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東京家庭裁判所 昭和62年(家)263号 審判 1987年5月15日

申立人 大島省三

未成年者 チヤン・ヨ・ム

主文

申立人が未成年者を養子とすることを許可する。

理由

1  申立人は、主文同旨の審判を求め、その事由として、大要次のとおり述べた。

(1)  申立人は日本国の、未成年者はマレイシア国の各国籍を有するものである。

(2)  申立人は、マレイシア国の国籍を有する未成年者法定代理人親権者母ルー・メッツ・レン(1960年1月27日生、以下「未成年者の実母」と言う。)と昭和59年9月13日婚姻した。

(3)  そこで、申立人は、未成年者と養子縁組をし、未成年者の実母と協力して未成年者を養育したいと考えて本件申立をした。

2  本件記録添付の戸籍謄本、申立人提出の各疎明書類、家庭裁判所調査官作成の調査報告書を総合すると、前項(1)ないし(3)記載の事実が認められるほか、さらに下記の事実が認められる。

(1)  申立人は、東京都○○区立○○○○中学校を卒業後、左官見習となり、19歳でいわゆる師匠上がりして○○○○○株式会社に就職し、現在、月収40万円ないし45万円を得ている。負債はないが、見るべき資産もない。昭和50年7月5日申立外三条良子と婚姻し、3子を儲けた(1人は出生後間もなく死亡)が、夫婦の折り合いが悪くなつて昭和52年5月16日長女の親権者を父、長男の親権者を母と定めて協議離婚した。ところが実際の養育は長男は父、長女は母がした。

(2)  未成年者の実母は、マレイシア国籍のチヤン・サンと1979年6月2日婚姻し、1980年3月9日未成年者を儲けたが間もなく不和が生じ、1984年2月21日裁判離婚した。その際、実母に未成年者の「後見人としての保護監督の権利」が与えられた。

(3)  申立人は、昭和57年ごろ、マレイシア国へ建築工事のため派遣され長期滞在した際に、ラーメン屋で働いていた未成年者の実母と知り合つて懇ろになり、同59年9月13日婚姻届出をして夫婦となつた。なお、その際、両名は、未成年者を申立人の養子にし、両名力を合わせて養育する旨話し合つた。

(4)  未成年者は、実父母の離婚後、実母に養育されていたが、実母が申立人と婚姻して渡日したので、実母の兄姉に養育されていた。ところが、申立人及び実母と一緖に暮らすため、昭和60年4月29日来日して申立人等に引き取られ、現在は、○○区立○○○○小学校に通学(1年生)しているが、順応が早く、日本語もすつかり憶えて友人も多数できた。未成年者の実父母及び未成年者とも未成年者が申立人の養子になることを望んでいる。

(5)  申立人は、将来、未成年者を日本に帰化させ、日本人として育てていくつもりである。

(6)  申立人の家族は、申立人のほか、申立人の妻(未成年者の実母)、申立人の実母(67歳、無職)、申立人と申立人の妻との間の長女(1歳)、本件未成年者の合計6人であり、住宅公団所有のアパートの7階に住んでいる。申立人の前記収入だけで生活しているが、生活は安定している。

3  上記認定の事実によれば、申立人は日本国の、未成年者はマレイシア国の各国籍を有するから、本件は、いわゆる渉外養子縁組である。したがつて、裁判管轄権及び準拠法が問題となる。

まず、裁判管轄権について判断するに、申立人及び未成年者の住所は、何れも東京都内に存するから、日本の裁判所が裁判権を有し、当裁判所にその管轄権があることがあきらかである。

次に、本件養子縁組の準拠法について検討するに、法例19条1項によれば、養子縁組の要件は、各当事者につき、その本国法によつて定めるものとされているので、本件における養親の要件については、申立人の本国法である日本民法を、養子の要件については、未成年者の本国法であるマレイシア国の養子縁組法をそれぞれ適用すべきことになる。

ところで、本件養子縁組は、前記のとおり、夫婦の一方が他方の子を養子とする場合であるから、我が民法上は裁判所の許可は不要だが、マレイシア国の養子縁組法には、裁判所の認可を要する旨規定されているので、本件においては、我が国の家庭裁判所の許可(審判)をもつてマレイシア国の養子縁組法の上記養子認可決定に充てるのを相当とすべきである。

そこで、日本民法、マレイシア国の養子縁組法に徴し検討すると、申立人と未成年者が養親子関係に入ることに何ら障害となるような点は全く無く、未成年者については、申立人のもとでその養子として養育されることはその福祉にかなうものであると認められるので、本件申立は相当として、申立人が未成年者を養子とすることを許可することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 永吉盛雄)

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